自由が辛いと思うときに読んで欲しい記事

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世の中は、明らかに個人の時代です。

「はい、今日からあなたは自由です!」
「どうぞやりたいようにやってください!!」

そんな風に言われたら、ちょっと嫌ですよね?突き放されて見捨てられたカンジがします。だいたい、何をやったらいいか分かりません。

だけど、世の中に、ちょっとそう言った風潮を感じませんか?

非正規労働者やフリーランスが増え、組織の中にあっても独立採算の成果主義、政府は小ささを求める新自由主義路線。

「はい、つまり自分のことは自分で考えてください!」

そんな…

確かに、大きな力の理不尽な拘束を受けて生きるのは辛いことだし、自由にはなりたいけれども、なんか極論過ぎはしませんか?

もっと、いい塩梅に、皆で協力し合い助け合って、安全安心と自由をブレンドしては、もらえないものでしょうか?もうちょっとさ。って思いますよね?

では、今回は、そのブレンドの仕方を考えていきましょう。この記事では…

  • 「安心×自由」な生き方働き方
  • どうして自由が辛いのか

を考えていきます。最期までお楽しみいただけたら幸いです。

「安心×自由」な生き方働き方

もし、あなたの会社が毎年きちんと給与がアップして、ボーナスも満額出続けて、揺るぎない終身雇用を間違えなく続けて、退職金もがっぽり頂ける企業であれば、そもそも不安はないハズです。

今は大企業も平気で揺らぐ時代です。新自由主義のもとでは公務員ですら安心できない状況です。

自分の安心は、自分で守っていかなければならないものだとすれば、私なら、副業をおススメします。

会社に勤めながら、あなたの才能にあった将来性のある副業を探すのがおススメです。2重に働くのですから、たいへんではあります。たからこそ、これを、あなたの天職を見つける努力に当てるわけです。

実際、仕事というのはそこに飛び込んでみないと自分がやりがいをもってやっていけるのか分からないものです。実は、これが本当の私の答えなのですが、自分の天職に出会えれば、努力も努力と思いません。困難にもどんどん立ち向かえるようになって、生きるコトに自信が持てます。

そうです。私たちを取り巻く環境を憂いていても安心はできません。自信を持って果敢に生きられる状態こそ、最大の「安心」なのですもの。

今は、ネットを活用した働き方がたくさんあります。投資も小さい額からできるようになりました。ネット社会ではこの情報も随分と増えました。

副業を許可している会社もどんどん増えています。そういう中ですから、あなたに合った副業を手軽に試せる時代なのではないでしょうか。

副業を専門にマッチングしてくれるサービスも出てきていますからこういったものを活用するのもたいへん有意義だと思います。

バナー(↓)を貼ります。

副業を認めていない会社もまだまだありますが、個人事業主としての副業であればほとんどの場合問題になりません。

確定申告の時に「特別徴収」でなく、「普通徴収」にして「給料から天引き」でなく「自分で納付」を選び納めれば、99.9%大丈夫、所属する会社が副収入を知ることはありません。

検索すると、その手の情報はいろいろ出てくるんじゃないかと思います。もし、ご要望いただければ、この流れを詳しく説明する記事も書きます。

既にフリーランスの人であれば、尚のこと、今の本業とは別のこと、副業でどんどん新しい自分の可能性を知るべきではないかと思います。

どうして自由が辛いのか?

どうして自由が辛いのか?それは、自由とは、他者との独立・対等な関係を結ぶことだからではないでしょうか。

相手が、恋人であろうと、友人だろうと、上司であろうと、顧客や株主であろうと、総理大臣であろうと、大統領であろうとも、常に独立・対等な関係でいることが自由です。

よく、自由と責任は表裏一体といいます。何かやらかせば、遂行責任、説明責任、賠償責任を負うのは、お互いの独立性と対等性、つまりお互いの自由を守り続けるためです。

なんか厳しいですか?

実は、人類にとって自由とは、なかなかの理想論でもあると思います。そのことは、歴史が証明しています。

今や、まるで当たり前のような顔で基本的人権として扱われる自由ですが、この歴史は極めて浅くて、これを是としたのは、ここ200年くらいの出来事です。日本では140年くらいで、200万年程だと言われる人類史上では、ごくごく最近の案件です。

しかし、進化する人類において、この自由という理想は、手放してはならないものでもあります。我々には、一度、この自由を放棄した苦い教訓があります。

イギリスやフランスの革命によって始まった、自由という価値観ですが、実際に手に入れてみると、それは孤独との戦いでした。そんな自由を持て余した民衆を飲み込んでいったのが、ヒトラーのナチスです。

ファシズムの信奉者たちは、ヒトラーという権威のために喜んで自己を犠牲にする一方で、その心のバランスを取る為に、自分たちより弱い立場のユダヤ人を虐殺し、自分たちの劣等感を解消しようとしました。

社会心理学者のエーリッヒ・フロムは、この非合理的なナチズムの専横をささえた社会的性格を、権威主義的性格と名付けました。

結果的に、ファシズムのイタリアやドイツが中心になり、日本もまざり、第二次世界大戦に及びました。世界中で数百万人が死んでいったのです。日本も酷い目にあいました。

このきっかけを心理学的に解けば、せっかくに手にした自由から逃走してしまったためであったのです。

もし、興味があれば、こちらがこの件の参考書籍です。

フロムは、抑圧や強制からの解放という消極的な自由に留まらず、主体的に自己の行為を選択する積極的な自由の重要性を説いています。

おしまいに

結果的に、とてもタフな自由を語ってしまいまして、反省しきりです…

結局、人間もつまりは山に群がるサルですから、急にボスザルと対等になれとか、カースト制は廃止ですとか、そんな高尚なことを言われても、精神が簡単には追っつかないのかもしれません。多分、依存もしたいものなのでしょう。

事実は、人間が解放感を求めていること、そして、サルのままいたくないという向上心を持っていること、この心のベクトルがあるということを押えておくべきなのだと思います。

全力で副業をおススメもしましたが、一方で、会社からの抑圧や強制を嘆きながら、焼き鳥屋さんでグチグチ愚痴るというのも、ある種、この心のベクトルに叶った自由なのかもしれません。解消できない不安は紛らす、という手があるのも分かります。

あるいは、反骨精神の塊だった頃のクラシックなロックに酔うのもひとつかもしれません。70~80年代には、自由を手に入れる寸前のテンションが描かれた作品がたくさんあります。

忌野清志郎さんのリリックで、こんな楽曲を思い出しましたので、これを最後に引いて終わります。

俺はつきあいにくいぜ
誰のいう事も聞かねぇ
口やかましく言われても
俺の態度を変えることはできねぇ
だって俺は自由、自由、自由
短いこの人生で
いちばん大事なもの
それは自由、自由、自由

YEAHすべての奴らに自由を
YEAHすべての奴らに自由を

ー”自由”RCサクセションー

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