誰かに支配されない方法

課題の分離

パワハラ、モラハラ、マウンティング。
時に人は人を支配しようとします。
これは人間は本質的に自由を
求めているためで、他者の自由まで
奪いたくなるためです。

人間同士が争うのはこれが原因です。

自分の自由を手放し支配を受ける人は、
さらにその下に支配する人を
創り出します。

支配者は、それぞれの自由を
守るために選ばれた
リーダーシップとは別のもので、
それぞれの自由を奪います。

この記事では、支配されない方法
支配者をつくらない方法について
考えます。

誰かに支配されないため

手にしている自由は
手放してはいけない。
大変だけれども
あなたの自由はあなた自身が
守らなければいけない。

ということを
エーリッヒ・フロムは言っています。

第一次大戦末期の君主制の崩壊や
資本主義の進展は、ドイツ民衆を
封建的束縛から解放しました。

同時にそれは伝統や慣習を解体し、
自由ゆえの孤立感や無力感を
増大させました。

社会が流動化し、
既存の価値観が崩壊し、
道徳が衰退し、
家族制度が崩壊すると、
自由に不安を覚え、無力感、不安、
社会全体からの孤立感を深めます。

すると進んで自由を放棄し、
偉大で強力なリーダーを求め、
偉大な国家に、依存し従属することで
安心を求めるようになりました。

これは、不安定で孤立感を深める自分を、
偉大なリーダー、国家に従属させることで、
苦労せず勝馬に乗り、虎の威を借りて
自らの権威をも高め、他の者を服従させる
ことでもあるから一挙両得です。

これを権威主義的性格といいます。
ナチズムが跋扈した背景には、
このような国民の精神構造があったと、

フロムは分析しています。

誰かを支配しないため

誰かの自由を奪おうとすると
何かしらのトラブルになる。
だから、誰かを支配をしてはいけない。
その方法論はアドラー心理学の
課題の分離がヒントになります。

他者の課題に踏み込まない。
それが課題の分離です。
あらゆる人間関係のトラブルは、
課題の分離がされていない
ことよって起きています。

それが誰の課題かを見分ける方法は、
それを最終的に引き受けるのは誰か?
を考えると分かります。

課題の分離は、
決して自己中心的に
なることではありません。

むしろ他者の課題に
介入することこそ自己中心的です。
他者はあなたの期待を満たすために
生きているのではありません。

自由を守るたったひとつの方法

哲学者ヘーゲルは

自由になりたいのであれば
「自分は自由だ、自由だ!」などと
主張するのではなく、
力ずくで人に認めさせるのでもなく、
お互いがお互いに、相手が自由な
存在であることを認めあう他にない!

といいました。

どんな帝国でも、どんな君主でも、
その権力を永続化さそようとすれば、
それを阻む勢力にやられます。

だから、私たちは、
自分が自由になるため、他者の自由も
承認しあう必要がある。

ヘーゲルがこう説いています。

おしまいに

現代社会は自由です。
過酷な自由競争の中で、
私たちは時々負け側に回ります。

でも、実は、

弱者の声は強大な力をもっています。
強者が弱者を叩くと炎上するのを
私たちが何度も見ている通りです。

短絡的に、自由から逃避して、
支配者の餌食にならないように。
また、負け側のままで終わらないように。
私たちは、自由を主張する必要が
あるのではないでしょうか。

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