リア充アピールって何でしょうか?
とても、キラキラ今を楽しそうに楽しんでいる人もいれば、それに違和感を感じる人もいるようです。
この記事は、このリア充アピールに対するシンプルな疑問を通して、ここでどういったことが起きているのかについて考えます。
わたしの仕事仲間で、心理学と占星術を使った独自の鑑定に定評のあるミシェル・メイ・美菜子さんの書籍も参考にしていきます。
discussion「リア充アピールについて」
何故女性は群がってリア充アピールするのですか?
回答
幸せになりたいのだけれど、幸せの捉え方がちょっと違う人が多いかもしれないからです。
周りと比べないと幸せを実感できないようになってしまっているようなのです。もし、本当に自分で幸せを実感できているなら周りへのアピールは必要ないはずですから。
それは、多くの人達の間で、幸せというものが社会が決めたパッケージ商品になっていて、それをもっているかどうかで幸せを決めようとする傾向があるためのようです。
だから、外から刷り込まれた情報によって、自分の中にあった幸せではないものを幸せだと思うようになるので、世間に確認する必要がでてきてしまうわけです。
ミシェル・メイ・美菜子 著 「なぜあなたはまだ幸せではないのか?」より要約して引用しました。
回答に対して
理解しました!
ありがとうございました。
SNSの意義について
何故女性は群がってリア充アピールするのですか?
このそこはかとなく絶妙にネガティブのニュアンスの込められた問いかけでしたため、今一つ幸せを実感しきれない人たちのSNSの使い方をミシェルさんのコトバを借りてみました。
しかし、これだけ多くの人がSNSを利用している状況は、間違えなく便利なツール、楽しいツール、今はもう必要不可欠なものであるというべきなのだと思います。
革命ともいっていい程にここに起きたこと、それは新しい人と人との繋がり方であり、これに多くの人たちが楽しみを見つけたということだと思います。
個人が情報を発信して、それを個人の集まりが楽しむ、そこに時代の新しい価値が生まれているのです。これに振り回されてSNS疲れしてしまうことなく、時代が発明してくれた喜びを享受するには、誰からのお仕着せではない、自分自身の中から湧いて出てくる自分らしい幸せになる力を磨くことが必要の様です。
承認欲求を否定する
アドラー心理学が多くの人にインパクトを残す議論が「承認欲求を否定」です。
われわれは決して他者の期待を満たすためにいきているのではないし、自分だけの個性を大切にしなければならないし、自由で平等でなければない。
他者もわれわれの期待を満たすするために生きているのではないし、わたしらしく生きることを否定できないし、わたしの自由を奪うことなど決してできない。
にも拘わらず、どうしても、この承認欲求だけは諦めきれずに、人間の根源的欲求だと主張する人もいます。これをアドラーは、賞罰教育の悪影響だといいます。
もちろん、それを諦めないことも、それぞれの事情です。そういうライフスタイルを自身で選ぶのであれば、これも、誰にも止められないことです。
ただ、この承認欲求は、自己肯定感を下げ、自立を妨げ、その人のポテンシャルを落としますから、もったいないことだと感じます。
SNSユーザーのリア充アピール自体に、私自身はさほど違和感も問題も感じませんが、もしも、ここへの「いいね!」の数が気になって気になって、生活に支障をきたすようなことが起きてしまったら、もう一度、承認欲求の是非を検討するべきではないかと思います。
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