アドラー心理学では、対人関係の基礎は信用ではなくて信頼だといいます。
銀行でお金を借りるには担保が必要です。あなたが返済可能な分だけを貸す、これが信用です。つまり条件付で信じることです。
他者を信じるときに、一切条件をつけない状態で、もし、裏切られても信じ続ける態度のことを、信頼といいます。
この相手をガバガバに信じてしまう行為。あなたにはできますか?
この記事では、人を信じるとはどうすることなのかを考えます。
機能価値の評価
人を信じるということのひとつには「ある目標を達成するための能力があると判断すること」という風に解釈できると思います。
「あなたならきっとできると思う!」という時の「信じる」です。
アドラー流にいえば、それに論拠があれば信用で、根拠がなければ信頼でしょうか。
自己効力感という言葉があります。これは、「目標を達成するための能力の自己評価」のことを言いますが、人を信じることのひとつは、人の機能価値の評価だということがあると言えます。
存在の肯定
人を「信じる」ことのもうひとつは、「存在に価値がある」という見方です。
「価値があると判断すること」つまりは、「存在の肯定」です。
自己肯定感という言葉があります。これば、「ありのままの自分を肯定的に受け入れること」です。肯定という言葉の意味をもう少し噛み砕けば、「ありのままの自分に価値があると判断して受け入れること」ということになります。
他者を信じる場合もこれと同じで、「ありのままのその人に価値があると判断して認めること」、その人の存在の肯定だという風にも解釈できます。
裏切るか裏切らないか?
人を「信じられる人」と評価した時に、「自分の期待を裏切らない人」という意味を込める場合があります。しかし、果たしてこれは、「信じること」なのでしょうか?
「自分が」信じる話だったのに、「自分に」何かしてくれる話になってはいないでしょうか?
「自分が信じる人」という能動態の話が、受動態の話へと、摺り変わっていることがしばしば起こっているように思います。
結論
人を信じるとは、あくまで能動的に、「その人の機能価値の評価」もしくは「その人の存在そのもその肯定」をする行為だと言えそうです。
決してガバガバした話ではありませんでした。
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