他人と揉めた時に考えること。

共同体感覚

人間関係に小競り合いはつきものです。

ムキッ。イラッ。調子のってんな?こら。

誰かをそう思っても、誰かにそう思われても面倒くさい話です。

しかし、案外、普通の会話の端々にカドがケンケン立ってきて、

内心ヒヤヒヤしたりするものです。

そこで、この記事では、人と揉めずにラクに生きる方法について

考えてみたいと思います。

何故、人は揉めるのか?

では、まずどうして人は揉めるのか?について考えます。

劣等感があるから

まず、考えられるのは「劣等感」です。

人間であれば誰でも劣等感をもっています。
人は、劣等感があるから伸びようとします。
決して、悪いものでもありません。

しかし、とても気になるナーバスな部分です。

人間関係で、ここが刺激されることがままあります。
そうすると、ムキッ。イラッ。調子のってんな?こら。
と心の中がザワつくわけです。

人と比べるから

人は、つい自分と人を比べるものです。

上からこられた、下に見られた。
誰かと比べて、自分が損している、
あの人だけがいい思いをしている…。

自分と他人は、そもそも持っているものも
目指しているものも、なにもかも違うはず。

勝ち負けを愉しむゲームならいいですが、
負けでガチなったりします。

そうすると、ムキッ。イラッ。調子のってんな?こら。
と心の中がザワつくわけです。

自己中だから

最近、自分クズ、とか、無価値とか、
ネガティブなことを言う人多くないですか?

これって、すごーくシリアスに自分について
考え抜いていないとこうはなりません。

しかも、これを人前で発言するとどうなります?
「そんなことない!」と言わざるを得ません。
欲しがってますよね、明らかに。

自己否定する人は自分大好きの自己中。
自己否定しない人ももちろん自分大好き。

人はみな自分が大好きの自己中です。
この自己中と自己中が衝突すると、
ムキッ。イラッ。調子のってんな?こら。
と心の中がザワつくわけです。

攻めたい守りたいと思うから

上記のように…
ムキッ。イラッ。調子のってんな?こら。
と心の中がザワつくと、
ちょこっと攻めたい、守りたいという欲望を
抑えきれなくなってきます。

そして、ついに言葉の端端に
戦闘モードが見え隠れてしまいます。
これが穏便に収まるか燃え上がるかは、
登場人物の匙加減ひとつ。

うまいことなんとかせねばなりません。

どうしたらいいか?

では、こうなったら?いや、こうなる前に?
私たちは、どうしたらいいのでしょうか?

自分の自由を尊重する

まずやるべきこと、
それは、自分の自由を尊重することです。

自分は自分しか守ってくれません。
他人に助け船を出してもらうことなど
期待をしてもあてにはなりません。
責任の結末が自分にくることに関しては、
何をやろうと人は自由です。

自分が譲れること譲れないことは
自分で決めましょう。

お互いの折り合いをつける

自分の自由はしっかり守る前提で、
相手の自由も守る、ここ大事です。

例えば、友人との会話に
自分の恋人との話を出して、
恋人のいない友人がそれを妬んだらしく、
恋人の悪口めいたことを言われてしまい、
自分もそれに軽く反応してしまいました、
みたいな場合に。

自分が恋人の話をするのは自由です。
友人が嫉妬するかどうかなんて分からないので。

しかし、嫉妬させてしまったわけです。
この責任は、自分がとらなければです。

そして、嫉妬して恋人の悪口を言うのも
もちろん友人の自由です。

更に、恋人を悪く言った友人に
キレて文句を言うのも自分の自由。
友人は悪口を言った責任を取るべきです。

はい、物語が完結しました。

お互いの自由を尊重すればそれ以上の
炎上はしません。

もちろん、さらに文句の言い合いが
あと何往復か続いても同じことです。
ポイントは、ここに正義と悪とがないことです。

お互いの自由と責任があるだけ。

誰も悪くないのだから、
そろそろこの辺でこの話はおしまい。
相手が、どう考えているかは分かりません。
でも、少なくとも、自分の精神状態は
安泰でいられます。

相互の自由を承認すれば、です。

世界の中心は共同体です

この「自由の相互承認の原理」を唱えたのは、
ドイツの哲学者ヘーゲルです。
ヘーゲルは「人間的欲望の本質は自由である」としました。
だから、人間は争うことを止められないのだと。
そこで、必要になるのが、お互いがお互いの自由を
認めあうことだという訳です。

あったり前の話のように思えますが、
実際、上記のように争いが起きそうになった時、
この考え方ができないと、ガチの戦闘モードに
なりかねません。

アドラーは、
「あらゆる失敗は、共同体感覚の欠如にある。
協力する能力が低いから失敗するのだ」といいます。
相手のことを思いやれず、自己中なままでは、
人間関係は必ず失敗します。

ユングは、
個人的な無意識の他に
普遍的な人類共通の無意識がある
と考えました。
これを集合的無意識といいます。

そして、この集合的無意識を通して起こる、
意味ある偶然の一致がシンクロニシティです。

不思議ですが、人と人とは繋がっていると
実感することは確かにあります。

人々の無意識は根底で繋がっています…

おしまいに

そもそも

私たちひとりひとりは、単に
地球や宇宙の構成要素です。

ちょうど、私たちの体の
細胞ひとつひとつと同じように、
存在を続けるというひとつの目的に沿って、
全てが連携をとるように
プログラムされていても
なんにも不思議ではありません。

きっと、ピースフルな世界は実現します。

自分と他者との自由を尊重し合えたら、
きっとどんなにラクに上手くんでしょう。

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