自分らしさってなんだ? Ⅲ.「あなたらしさのコントロール」

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「あなたは自分らしく生きていますか?」

「自分らしく生きたいですか?」

もし、あなたらしく生きている、生きたいと思っているなら、もう心から、おめでとうございます!です。

あなたは、この世でただひとりの人なのですから、オリジナルで特別な生き方をする、それが最強です。

でも、もし「自分らしく生きたいのに、生きられない」とか「この生き方が自分らしいかどうか分からない」とか迷っていたら。

「ありのままの自分を肯定的に受け入れる(自己受容)」ことを習慣に取り入れてください。

ありのままの自分を肯定的に生きることが、あなたらしい人生、そのものです。
※詳細記事:自分らしさってなんだ? Ⅰ.「自分らしく生きる方法」

また、

何かに挑戦したい自分と、それを拒絶する自分とで、葛藤した時には、その二人の自分の共通の目的を内観してみてください。それは、ありのままの自分を肯定的に受けいれるための、ちょっとしたコツがあり、そこには、力強くあなたらしく生きるために重要な要素が含まれています。
※詳細記事:自分らしさってなんだ? Ⅱ.「自分らしく生きる極意」

さて、この記事では、「自分らしさってなんだ?」という問いに対して、自分らしさのメカニズムはどうなっているのか?どのようにコントロールするのか?という視点で考えいきます。

この記事であなたらしく生きるコントローラーを掴んで頂けると思います。

では、本題です。

あなたらしさは、自己受容と自立と自由で操作する

あなたらしさは、どういう仕組みで動くのか?ひとことで言うと…

自己受容と自立と自由で操作します。

そもそも、あなたらしさは、すでにあなたに内包されています。無意識から繰り出す、性格、価値観、世界観が生身のあなたらしさです。

これを認知するには、課題を目の当たりにするたび、感情が大きく動くたびに、課題や感情に隠された、あなたの目的を建設的に内観することで可能です。

人の行動や感情には、目的があります。

例えば、「ある行動に取り組むべき、と思っているのに、どうも気がすすまない。」というケースで。ここには、その実行が必要だと思っているあなたと、失敗によるリスクを取りたくないと思っている二人のあなたを内観できたとします。

このように内観によって、ネガティブな自分は、ただ失敗を恐れていただけ、と気づけたことで、解決できる問題も案外あります。失敗のリスクを解消する方法もあるものです。

一方、どうにもリスクは回避できないそんな時は、ポジティブな自分とネガティブな自分の共通の目的に目を向けます。

このエントリーのテーマで言えば、二人のあなたの共通の目的は「あなたらしく生きること」です。ここへ、二人のあなた両方ともが、向かっていけるようにするにはどう取り組むべきか?

  • 例えば「まずは、リスクを最小に区切った一部分に取り組み、その成果を見る」とか、
  • 例えば「失敗の場合のリカバーを用意して取り組む」とか、
  • 例えば「もっとリスクが少ない自分らしいアプローチを見つける」とか、

目的とポジティブな自分とネガティブな自分の3つをどれも排除しないで、建設的に受け取ることが自己受容の肝です。目的もポジもネガも全部があなたです。どのあなたも見捨てられません。

また、これとは別に、あなたらしく生きるため必ず押さえておくことがあります。それが…

  • クリアしているべき目標として「自立」と、
  • 行動指針としての「自由」です。

自立できていなければ、自分らしさの追求も、悲しいエゴに聞こえてきます。また、誰かの支配下にあるなど、自由を手に入れていなければ、自分らしさは犠牲になります。

あなたらしくという目的は、自己受容をエンジンに、自立を目標に、自由を行動指針にして果たしていけます。

あなたらしく自立する

自分らしく生きている人は自立しています。そこで、自立とは何なのか?を整理します。

人間は子ども時代、ひとりの例外もなく劣等を抱えて生きています。子供は「やりたいこと」と「できること」のギャップだらけ、大人たちはできるのに、自分にはできないことに苦しみます。

そして、この劣等が常に促進剤になって課題を克服し成長をします。

ただ、人間は生きているかぎり何らかの劣等を持ち続けます。常に理想を持つからです。

そこで、どこまでその「やりたいこと」と「できること」のギャップを克服し成長すればいいのでしょう?自立の定義とはなんでしょうか?

次に自立に関する2つの要件を紹介します。この要件を満たしていれば、どんなことをしていても、あなたは自立した人です。

※ここでは、誤解を避けるため「無力感」という言葉を使いましたが、アドラー心理学ではこれを「劣等感」と呼びます。心理学で、劣等感とコンプレックスは別モノです。劣等感は努力の糧になる、人として健全な感情です。

他者の価値判断からの自立

「わたし」の価値を、他者に決めてもらうこと。それは依存です。一方、「わたし」の価値を、自らが決定すること。これが「自立」です。

自立はあくまでも精神面の課題です。例え、仕事面や身体面や経済面が、充実していても、それだけでは、自立しているとは言えません。

逆に、例えたくさんの劣等感を抱えたままでも自立することは可能です。

あなたがあなたの価値観で生きること、それが自立。全ての価値判断について、自分で価値を決められれば、それがあなたの自立です。

エゴからの自立

もうひとつ、自立について大切な要件があります。それが「自己中心性からの脱却」です。

わたしたちが赤ん坊時代は、世界の中心に君臨していました。周囲の誰もが私を気にかけ、昼夜を問わずあやし、食事を与え、排せつの世話さえしてくれました。私が泣けば、世界が動く。そんな独裁体制でした。

しかし、いつまでも家庭という王国に君臨することはできませんし、息苦しさも感じます。外の世界と調和しなければなりません。

自立とは「自己中心性からの脱却」です。

世界の中心は自分ではなく共同体だと知ること、また、人の役にたつことに喜びを感じられるようになること、それが自立の要件です。

尚、われわれを本当に意味で自己中心性から解放させるもの、それは、愛なのですが、この話はまたいずれかの機会で。

あなたは自由である

自分らしく生きている人は、もちろん自由です。

今あなたは自由ですか?

あなたは自由ということにどれくらいの価値を置いているでしょうか?最近は、かなり改善されているようにも思いますが、日本人はこれが少し苦手なところがあります。

しかし、自分らしく生きたい、そう願う人であるなら、この自由という価値に対する思いは、少なからずあるはずです。自立の定義を見れば分かるように、私たちは自分の自由を確保しなければ自立ができません。

ただ、放っておいては、自由は他者からの侵略にも合いますし、あろうことか自分から放棄してしまうことが起こります。自由は主体的に確保しなければなりません。

自由に生きるためには極意があります。それがアドラー心理学に詰まっています。是非、それらを活用してあなたの自由を担保してください。

自己決定性

「自己決定性」はアドラー心理学の中核概念です。

人は自分の性格や価値判断基準を自分自身で決定している。たとえ、親や家族、教師に影響を受けたとしても、その影響をどのように意味づけ、どうするかを決めるのは自分です。環境は影響因でしかなく、決定因は常に自分にある。

こんな考え方です。

実は、この考え方を選ぶと、他者のせい、環境のせいにすることを許さないので「この人でなしの自己責任論者め!」などと批判をされがちです。

しかし、今の自分は、全部自分で決めたもの、ということを肯定的に受け入れれば、これからの自分も全部自由に自分で決めていける。なんなら、今まで決めてきたことも自分で変えていい。という自由と希望が満ち溢れます。

自分らしく生きる上では、最も大切な考え方です。

目的論

人は未来への「目的」により行動を自分で決めている。だから、自分の意志でいつでも自分を変えることができる。とアドラーが唱えた「目的論」と「自己決定性」は現代心理学の常識です。

「原因があって(抗えない)結果がある」という、フロイトの「原因論」は、過去の遺物になっています。原因は「解説」にはなりますが、何の「解決」にもなりません。過去を変えることができないからです。

ところが、私たちの日常生活では、何故かいまだに原因論が幅を利かせています。おそらくですが、理由は二つ

  1. 弱者を叩いているように感じられ、これを論じた人は損をする、と思われているから、
  2. もしくは、人は、間違えが明らかになる勇気をなかなか持てないものだから、

だと私は類推しています。

しかし、実際、原因論は、弱者から自由と意思を奪い、弱者を弱者のままに居させます。原因論の不自由からは解放されるべきです。

課題の分離

次に心得ておきたいこと、それがアドラー心理学でいうところの「課題の分離」です。

その課題が誰に帰結するか?「他者の課題」と「自分の課題」、これを分けて考えれば、他者の自由と自分の自由がそれぞれ守られます。

平易な言葉で言えば「自分は自分、人は人。」。自分の勝手、相手の勝手で済ますべき課題かどうかを考え行動します。

但し、仕事の関係→交友の関係→愛の関係と、距離を狭めと深さを築いていく中で、「共通の課題」を持つことも重要です。

お互いの自由を侵害をしないで生きるための極意です。

承認欲求の否定

課題の分離で考えると、他者が承認するかどうかは他者の課題だということになります。だから、これは分離するべし。他者の課題に踏み込むな。自分の課題への立ち入りを許すな。と言うのが「承認欲求の否定」です。

前述した、自立の定義で、「わたしの価値を、自らが決定すること。」という要件がありました。自分の価値は自分で決めればいいので、他者の承認など不要なのです。これに頼ると依存になります。

とはいえ、他者承認というのは蜜の味です。

そもそも人には承認欲求があるものなので、これには私も辛いなと思うところです。

そこで私は「承認要求の否定」と書き換えています、自由です(笑)

自分から承認を「要求」することはしません。常に見返り等求めずに他者貢献にいそしみます。ただ、それをもし褒められてしまったら、それは仕方ありません。アドラーはどうするのか知りませんが、私は平気で大喜びすることにしています。

おしまいに

いかがでしたでしょうか。

自立と自由を確保してあなたらしさを解放してください。

では、また。

『自分らしさってなんだ? Ⅲ.「自分らしさのコントロール」』

※参考図書

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