楽しいことが見つからない

今ここ

私は、本当に好きな物事しか続けられないと確信している。何が好きなのかを探しなさい。あなたの仕事にも、恋人にも。

スティーブ・ジョブズ

ジョブズが有名なコレを言って以来、「好きなことだけして生きる」と話す人が増えた気がします。

一方で、それと同じくらい、好きな物がなんなのか分からないと言った悩みを聞くようにもなりました。自分は何が好きなのか、今ひとつくっきりとしないというか、散漫で収集がつかないというか、今は無い、とかいうことが良くあります。

今回は、そういう高2男子とのディスカッションです。アドラーと並ぶ、わたしのココロの師匠、みうらじゅん さんの思考回路もご紹介していきます。

discussion「何が楽しくて何が楽しくないのかわからない」

相談

物事を楽しむにはどうすればいいですか。もう何が楽しくて何が楽しくないのかわかりません。

楽しいかもって思ったことも、結局楽しんでる自分に酔ってるのではないかと思ってしまい、楽しいということがどういうことなのか忘れてしまった気がします。

自分は小さい頃から人の目を気にする人だったので、「そういうのが好きなんだ!すごいね」と言われたらそれがそれほど好きでなくとも好きなんだと錯覚して、「そうだよ!これが好きなんだ!」と偉そうにしていました。

楽しいということがわからなくなった原因は、このように自分に嘘をつき続けてきたからかもしれないと思っています。嘘と言うのも微妙ですが…。

逆に楽しくないこととかはそんなに無かったような気がします。

今は感覚が思い出せませんが、小さい頃は何もかもが学びで、勉強で、その学びとやらが楽しかった、好きだった覚えがあります。学びも遊びも全ては繋がっているんだと感動していたんだと思います。

でも今はそういうのがわからなくなってしまっています。

どうしてこうなったのかもわからないんです。ただただいつも心の中が複雑で。

こうなり出したのはおそらく中2あたりから、理数系の高校か普通科かを選ぶ際に将来や自分について考え出したときだと思います。

自分は本当に理科が好きなのかなぁとか、知らないことを見つけるところに面白さがあるから科学者とかいいなぁ、かっこいいし、とか考えてました。ぼんやりですけど。

そして理数系の高校に通い、いろんな人がいて感動し、たくさんの友だちやライバル、すきなひと、尊敬する人ができて、その周りと勉強で切磋琢磨したり、部活ではグループで植物の研究をしたり、家では豆腐メンタルなので毎月一回は泣いて、なんで自分はいつまでたってもこういうところが成長できないんだと嘆いたり。

この頃はまだ楽しいという感情を忘れていませんでした。

ですが高2になった今、高1の復習をしてたら、なんで自分勉強してるんだろって。

全然本気になれないし、そうえば高校受験も中学受験もトップの子達みたいにエンジンかかってなかったな、と嫌だった塾の思い出も思い出してしまいました。それも何度も、毎日。結局自分は何を目指してここまできたんだろう。

自信も無い。なんだか踏ん張れない。ただただボーッとしてたい。でもそれじゃきっと堕落していく。。っていう風に葛藤もしていました。

手応えとかが無くて、空っぽの自分が空っぽの人生を送ってるみたいに思えてきて。まあやりたいことが、本気になりたいことが無いからなんでしょうけど。

やりたいこと探しに自分を見つめ直してみたけど、この質問の主である、楽しいってなんだろうってところに行き着いたわけです。

回答

今目の前のあることに集中ですかね

過去も未来もどうだっていいから無心で毎日今を生きる

子どもの時そうだったでしょ?答えなんて後からついてきます

回答に対して

確かに…過去も未来も関係ない、今を一生懸命生きることが大切なんですね。どこかでわかっていた気がしたけどいつの間にか忘れてました。

小難しく考えすぎず、とりあえず今を大事に頑張ります。
かなり救われました。ありがとうございます!!

何故、好きなものが分からなくなるのか?

感情は抑圧や抑制するものではありあません。

それらをすることによって感情のセンサーが鈍って自分の内面を感じられなくなってしまうから。その結果、喜びや充実感や安らぎにも鈍感になってしまい、本当の幸せを見失ってしまう。野口嘉則氏 著「3つの真実」では、このような解説があります。

また、何か辛いことが起こったときの場合について。

その辛さに捕らわれていてはいけないと、気丈にふるまうことは、一見正しい行いのように思えます。ですが、そうすることによって抑圧された感情が心の奥で残ったままになってしまう。この感情が解放されていないため、後々まで、何か同類のきっかけで動揺するようになってしまう。これがトラウマである、ということも、この本で説明されています。

大喜びや大泣きする自分はありのまま受けいれて、感情のまま感じるとこが大切だったのです。感情に、いい感情とか悪い感情という種別はなくて、自分の人生をそのまま感じるためにあるセンサーであるようなのです。

子どもの時から優等生で、周りの評価や期待に応えて、好きだと思う気持ちをコントロールして、ついに、自分の好きと感じるセンサ―に狂いがでてしまったわけですかね。

好きなものは考えても見つからないんじゃないかな

好きというのも感情なので、頭で考えて見つけるものではありません。過去から引きずってきた経験や、これからの未来を考えてあるべき姿といった思考の決めつけから導き出したものには意味がありません。

今ここで事を動かして、それに心がどう動かされるのか?これに集中するしかありません。子供のころ、毎日無心で遊んでいた、ちょうどあんな風にです。

つまり、今から目の前でつくるしかないのです。答えは、その後で出るわけです。これは好きなものを見失った人だけ向けの話ではなく、誰にでも当てはまることだと思います。

マイブーム、ゆるキャラの生みの親。多趣味で知られるサブカルキング みうらじゅんさん は著書でこんなことを言っています。

どんな仕事であれ、「やりたいこと」と「やらねばならぬこと」の間で葛藤することが多いと思われます。それは私も同じです。そこで肝心なのは、そのときに「自分ありき」ではなくて、「自分をなくす」ほど、我を忘れて夢中 になって取り組んでみることです。新しいことはそこから生まれます。

「いま、ここ」に生きよう、という動機づけ

私たちは「いま、ここ」にしか生きることができません。アドラー心理学は、計画的な人生を「不可能です」ときっぱりあっさり言い切ります。今を充実させた結果として、どこかに到達させてくれるという感覚が、受容するべきありのままの世界です。

自己受容とは、人生が繰り返し連続する刹那だという事実も見逃さないことです。未来ばかりを見ていても、残念ながら、期待している安心や安定は保証されるものではありません。だから、「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てて、真剣に生きようというのが、アドラー心理学のメッセージです。

アドラーの勇気づけは、内発的モチベーションの喚起ですし、自分の人生を具体的に愛してやりなさいという動機づけです。自立を目標にした教育であり、カウンセリングであり、勇気づけです。

こちらでアドラー関連の書籍を要約しています
 

おしまいに

感情を抑えてしまうと感情のセンサーが鈍って自分の内面を感じとれなくなる

「好き」は感情だから「今ここ」で事を動かして心で感じ取るしかないようです。

マイブームは、向こうからやってくるわかではなく、「自分無くし」で自分からつかみ取るものだそうです。

そして、最後はこの言葉でこのエントリーを締めくくろうと思います。

もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは 本当に自分のやりたいことだろうか?

スティーブ・ジョブス

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