自分の素の姿がわからない人のために

劣等感

人は、いろんな顔をもっています。

それは、もちろん必要不可欠な対人スキルで、恋人と接する顔で、上司と付き合う訳にはいきません。ひとりでリラックスしている時の素の自分で、皆の前でスピーチをしろと言われても無理な話です。

だけど、その仮面の着せ替えの激しさから、どれが本当の自分なのだか分からなくなってくる、ということも時々起きます。

この記事は、そんなOL女子の相談を採録して、人格を統合する考え方を提案します。

相談

自分自身について悩んでいます
私は友達や仕事場など 人によって性格を変えてしまいます でも変えたいわけではないんです

何故か自然と変えてしまうんです。
そして今自分の素が自分自身で分からなくなってます。

私は昔幼い頃から高校生まで いじめや裏切りに遭い続けていました。
どうして自分が嫌われるのか そんなに標的にするのか わからず毎日辛く、 その頃から周りに合わせて、気を使ってきました。

そして合わせると言う点では この人らにはこー言うふうに接しようこの人にはこうしようと 周りになじむため 友達を作るため 自分の素を出さず自分自身を偽ってきました。

それが原因か、今、仲の良い友達の中でさえも、その人その人によって性格を変えてしまうようになってしまいました。変えたいわけではないのに自然とです。

そして自分の素の姿がわからなくなりました。

そしてまたそれを見た人たちが距離をおいていきます
仲の良い友達にもキャラ統一したら?といわれます
したいんです統一。と言うか統一なんてものじゃなく自分の素をみせたいんです。でもその素の姿を自分自身でさえわからなくなりました。

でも自然と変えてしまう。

もう人とどう接すれば良いかわかりません。
私はどうしたら良いでしょうか

回答

誰もがそうですけどね、ある程度。

TPOによって服装を替えるように、誰でも振舞う用の人格をいくつか持っているもんです。だけど、友人にも指摘されるわけですから、それは気になりますね。。

素の自分を出すメリットとデメリット、素の自分を出さないメリットとデメリット、あなたの意識、無意識の中にそれぞれを持っているから葛藤が起きます。

でも、素の自分を出したいあなたと、出したくないあなたは、両方とも紛れもないあなた自身なので、実は、大きな目的は同じところを目指しています。その大目標を探せると楽になると思います。探せそうでしょうか?

キャラを統一するのでも、要らない自分を排除するのでもなく、その目的が見つかれば、どちらも同じところに向かっている正真正銘のあなただということが分かって、それによって全ての人格が統合できます。

これは単に私の類推ですが、たとえばその大目標が「対等な人同士として付き合って、相手も自分も尊重したい。」だとします。

そうすると、別人格をつくっているあなたも、その大目標に向かって、今はそうしているんだということに気が付いて、別人格のあなたも受け入れることができるはずです。それが統合です。

早く目標に到達すればいいわけですから。キャラを統一したら?と言う友人にも、お互いに尊重しあえる関係を築くための戦略よ?と言えばいい。

人は目的で動く、案外合理的な生き物です。

回答に対して

回答ありがとうございます。

大きな目標 そっかっとおもいました。
多分私は目標というより 人に嫌われたくない の一心でした。

そしてあなたの例えとしてくれた目標 それは多分私の中で的をいぬいています。

私は多分そうなりたくて でもそれができなくてつくりあげたのだとおもいます。

全ての人格は私自身。つくった全てが私 無理に統一せず 全て受け入れていこうとおもいます。

ありがとうございました

目的論

名著「嫌われる勇気」で、哲人が赤面症の女学生の相談を紹介する一幕がありました。

「赤面症だから好きな人に告白できない」

赤面症を直してほしいと言う女学生に哲人は、自分はその赤面症を直さない。と告げます。

なぜなら、その赤面症は、傷つくのが怖いから、人と距離を置く目的で、自分がつくっている症状だからです。

これを無理に直してしまえば、告白が失敗に終わってフラれてしまったら、彼女はどうなるか分からないというのです。

人の感情や行動には、性格を映し出す目的があります。

この相談者の彼女が、人により人格を変えるのも、明らかに彼女の性格に後押しされた目的があることが分かります。

劣等コンプレックス

では、彼女のどんな性格が、人により大きく人格を変えるのか?

「人格を変えてしまうから、素の自分が出せない。」

「○○だから、○○できない。」という言葉を多用するようになったら、劣等コンプレックスの疑いがあります。何らかの劣等感によって、正しい方向に努力が向かなくなることをいいます。

彼女の場合は、理由も分からず他者からいじめにあったことへの恐れがあるため、自分が疲れてしまう程、他人に気を使ってしまうということなのだと思います。

もうそろそろ、本当の自分で生きたいのだけれど、もうひとつ踏み切れない、ということなのだと思います。

自己受容

ポジティブな自分も、ネガティブな自分も、全てありのままに肯定的に受け入れること。これによって、対人関係に踏み込む準備が整います。

「嫌われる勇気」の赤面症の女学生の例で言えば、告白したい自分と、フラれて傷つきたくない自分。どちらの自分も自分であるけれど、そこには2つの相反する目的がありました。しかし、この二人の自分に、それぞれもうひとつ先の目的あるとしたら…

「好きな人と恋がしたい。」

同じ目的があることは明らかです。そこに視座をもっていけば、ポジティブな自分とネガティブな自分両方を肯定的に受容することができるはずです。

ポジティブな自分は好きな人に告白したい。ネガティブな自分はその思いがゆえに失敗した時のリスクを示唆してくれている。

であれば、「うまくいかなかった場合は思いっきり泣こう!」と覚悟を決めるのか?「同じ傷つくかもしれないなら、もっと素敵な人が居るはず!」と思うのか?はたまた、煮え切らないまま真っ赤な顔で告白するのか?あとは思いのまま、2つの自分を統合して、自由に選択をすればいいだけです。

今回の質問者さんにも、このような考え方を提案しましたが、どうやら、話は通じたようでした。

まとめ

自己受容をする時に、分離してしまったポジとネガの自分を、目的論で統合するのは、ひとつおススメの解決方法です。

「自分の素の姿がわからない人のために」

※参考図書

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