「あの人はあんなに有能なのに、自分ときらた…」
「あの人のいう事、絶対に間違っている!」
「決めたことは全うすべき!なのに…」
「鏡に映った自分の顔が冴えなくてブルー。」
不安や不満や怒りや哀しみ。あなたは、そんなネガティブな感情を日頃どれくらい感じていますか?
認知行動療法では、約10パターンの思考の偏りがあると言われ、こういう思考のクセを拗らせると、つまりは心の健康を害します。
しかし、一見、好ましいとは思えないこんなネガティブな思考にも、実はメリットがあります。
結論から伝えます。
「ネガティブな感情は、成長と幸せをもたらす種です。」
私たちがネガティブに感じ取る事象は、その感情を克服するために存在しています。
クリアするステージの無い退屈なゲームなんて流行らないと思いますが、ネガティブ思考は、クリアするステージを設けて、人生のエンタメ性を高めてくれているワケです。
この記事は、そんなネガティブ・ゲームの取説です。もしも、あたなの人生の参考に少しでもなれば幸いです。
このブログは、アドラーを中心にした心理学の検知から、自由な生き方、心を解放する考え方を探して更新しています。
それでは本題です。
ネガティブな感情は誰にでもある
まず、ネガティブな感情をよく感じることがある、という方。こんにちは!この記事では、あなたが主役です。
そして、ネガティブな感情を日頃あまり感じないと言う方。
実は、ネガティブな感情を持たない人はいません。あなたは、ネガティブな感情に蓋をして押し殺しているか、もしくは気づかないように逃げているかもしれません。
私たちにとって、ブルーな気持ちは解消すべき課題です。蓋をしてばかりだと、そのネガティブから解放されないまま、無意識の奥深くへ潜り込ませてしまうことがあります。
これが、思わぬシーンで悪さを仕掛けることがありますので、この記事を参考に、一度、意識的に自分の感情に寄り添ってみることお勧めします。
実はちなみに、筆者の私はこっちのネガティブを感じないタイプですが…。
そもそも感情とは
さて、
そもそも喜怒哀楽のような感情は、私たちの性格を写して行動に反映させるための着火剤です。アドラー心理学では、感情には目的があるといいます。
つまり、私ってこういう人よ?と訴えようとしているのです。
でも、そんな‥
見て!愛して!かまって!尊敬して!!のようなことを言われても、他人はそこまで面倒見はよくありませんね。無視されたり、適当にあしらわれたり、めんどくさがられたりするのがオチです。
ちょっと、酷い言いようだったかもしれません…。
けれども、いつでもどこにいても、自分に確実にずっと寄り添っているのは、自分自身だけです。「私ってこういう人!」というメッセージを責任もって受容してあげられるのは、自分自身だけではないでしょうか。
ネガティブはいつも漠然としている
さて、あなたは最近、どんなネガティブを感じたでしょうか?
「あの人はあんなに有能なのに、自分ときらた…」
「あの人のいう事、絶対に間違っている!」
「決めたことは全うすべき!なのに…」
なんかいろいろなレベルのネガティブがあると思います。
しかし、私たちをネガティブにさせる事象は、非常に漠然としていることが多いはずです。漠然としたネガティブは、感じたままにしておかず、少しだけ、具体的に言語化してみてることがおススメです。
あの人はあんなに有能なのに、自分ときらた…
「あの人はあんなに有能なのに、自分ときらた…」
こんな風に事象の捉え方が、漠然としたままだと、手出しができません。例えば…
「あの人は、自分の信念に基づいて、仕事を組み立てているので、行動のひとつひとつに、あの人の思いが詰まっている。その結果、多くの顧客に信頼され、多くの仕事をこなしている。立派過ぎる。」
というように、具体的な言葉にしていくと、案外、課題は多くはないことに気づきます。
「そうか。あの人は私に、信念の大切さを教えてくれているんだな。自分の信念に再注目して、それを個別の案件ひとつひとつに落とし込んでいく仕事の仕方にチャレンジしてみよう。」
のようにです。
あの人のいう事、絶対に間違っている!
「あの人のいう事、絶対に間違っている!」
はい、怒ってますね。「絶対」にというところがヒステリックですね。よく整理できていないから「絶対」という言葉で押し通そうとしています。例えば、こんな時もこんな風にクリアな言葉にできたならどうでしょう?
「あの人のいう事は、あの人のいくつかの経験からの類推だ。今回もそうだという確証はどこにもない。」
怒っている場合では無さそうです。どんどんやっていくべきことが見えてきます。
「そうか。あの人の経験と今回との違いを洗い出して、私自身の仮説を立てて話合おう。」
のようにです。
決めたことは全うすべき!なのに…
「決めたことは全うすべき!なのに…」
悩んでいますね。決めたことができない自分に怒りも覚えているのかもしれません。これも例えばでこんなクリアな言語化ができるかもしれません。
「決めたことが決めた期間に60%しかできていない。おそらく100%遂行するには、まだまだ越えなければいけない壁がある。それが何なのか不明だが、決してやる気や気合の問題だけではなさそうだ。」
こんな風に言語化できれば
「まずは、ひとつやり方を変えてみて、達成率10%アップを目指そう。それができたら、またひとつと繰り返して、計画の帳尻を合わせよう。」
のようにです。
こんなに上手い事進むかどうか分かりませんが、ぼんやり漠然としたネガティブは、もう少し踏み込んで向き合い、クリアな言語化を施してやることで、前途が開ける、それと同時にネガティブは消えています。
ネガティブには、前途が閉ざされた閉塞感が絡んでいます。それを解放するためには、ネガティブを漠然としたままにしないことです。
しょうもない私の昨日のネガティブ
私は、あまりネガティブを感じない男なのですが、つい昨日、ふと自分のあるネガティブを意識しました。
朝、鏡に映った自分の顔が冴えなくて、ふとブルーになったのです。
普段なら、気のせいにするとか、寝起きのせいにするとか、たまたま今だけ体調が悪いとかいうせいにして、スルーするのがいつものパターンです。
それに気が付いて、ちょっとしたこのネガティブについて考えてみました。
「鏡に映った自分の顔が冴えなくてブルー。」
これはいったい何なのか?
前述した、アドラーの言うように、人の感情には目的があるのだとすれば、私のこのブルーは、私に何を訴えているのか?
ブルーの正体があまりに漠然としているので、もう少し具体的に言語化してみることにしました。すると、こうでした。
「朝、鏡に映った自分が、疲れたような、老けたような、冴えない顔をしていた。それを見て、この先、このまま老いて衰えて、自分を嫌になる予感がした。」
そうやって少しだけブルーの正体をクリアにすると「ほう、なるほど!」といろいろ思い付いたのでした。
老化は治療できる病だった!というあのベストセラー「LIFE SPAN」をもう一度読み返して、あそこで推奨されている”老いないためにできる事”の何かに取り組んでみよう!とか、
ついでに、ジュリア・キャメロン著『いくつになっても「ずっとやりたかったこと」をやりなさい』も読み返して、もう一度、自分のやりたいことを見つめ直そう!とか、
最近は、かかりつけの皮膚科から出ているローションくらいしか、スキンケアらしいスキンケアはしなくなっているけど、少し研究をしてみよう!とか、
つまり、ブルーな感情の正体、私の性格が私に行動を促したのは、少しはエイジングケアをしてくれよ!元気に生き延びたいよ!だと察知したのです。
こんなこと自分自身以外の誰も聞いてくれないですからね。漠然とした感情をクリアにして、私自身がしかと受け止めました。
おしまいに
まとめると…
・ネガティブ思考は、成長と幸せを運ぶ。
・ネガティブはたいてい漠然としている。
・そんなネガティブには、クリアな言語化を。
アドラー的に言えば、自己受容の話ですし、ネガティブというのは劣等感の克服のお話です。タグ付けされた関連記事は下記を参照ください。
コメント